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  • 執筆者の写真ainsophaur

瞑想について

更新日:2019年12月17日


「瞑想について」の動画を公開しました。


動画を見るより文字で読むほうがわかりやすいという方へ文章も書き起こしていただいたので掲載いたします。


見てエネルギーを受け取り、読むと定着しますので両方ともご活用いただければと思います。






Q 瞑想について教えてください

A いろんな瞑想があると思いますが私なりの瞑想の定義をいうと、本当の自分を見つめるということ。そういうことはなかなか日常ではできないので、本当の自分を見つめることを集中してやることが瞑想だと考えてください。


方法は何でもいいのですが、色んなものが目の前に入ってくる、いろんな刺激があると本当の自分から遠ざかる。そうしたドラマのなかに埋没しないように、静かな場所で目をつむるか半眼になるなどして自分の中に入って見つめていくほうが有効です。


達人になれば生きることそのものが瞑想にもなるのです。でも普通は目の前のものに引きずられる部分があるので、静かな所で目を閉じたり半眼になったりして刺激を遮断するほうがやりやすいということです。


姿勢に関しては、座禅を組んでやらなければいけないという人もいますが、それよりも意識や自分自身が何をするかのほうが重要と考えています。あまり形にこだわっていると瞑想の機会が減ってしまうので、それよりは楽な形で機会を増やすほうがいいと思います。横になって寝ながらやっても別にいいと思います。寝てしまってはまずいですが(笑)立ちながらでもできないわけではないですから。


でも重力も人によっては肉体を感じる余計な刺激になってしまうので、その刺激を減らすように、無理な体制よりは楽な姿勢ですることがいいかなと思います。


呼吸にあわせるという必要も本当はないのですが、分かりやすいという意味で呼吸に合わせるというのは一つのテクニックでもあります。単純な呼吸の繰り返しに、原始的なただの反復運動に意識をむけることで、いろいろな思考を停止させることができます。



Q 北澤さんのおすすめする「我神瞑想」について

A 瞑想で本当の自分を見つめる、といいますがそれは何かというと、自分は創造主であるということ、それが唯一の真理なのです。それ以外はある意味ドラマのなかの設定とか、二元というものになります。どんなものもドラマの世界になってしまうので。真理というのは二元を超えた所にしかないのです。二元を超えた所とは何かというと、それは自分が神でありすべては神であるということです。 

我神瞑想と名付けているのですが、「私は神である 私は愛である 私はすべてのすべてである」ということを唱えながらやるのが、今私のおすすめの瞑想です。


簡単にいえば、自分とは形をもつ者ではなくて、創造主というエネルギーの存在であって、物質や形に属するものではなく、もっと本質的で根源的な要素であること。それが「意識である」ということですが、そこにフォーカスしてそれを見つめて唱え続けて、自分に刷り込んでいく。

それは刷り込みというよりは、もともと忘れているだけなので思い出していくという行為です。そこに二極はないので、反対語はないのです。ただそれがありますということだけで、あるかないかではありません。神とか愛というのも言葉の例えで、ただすひとつの大いなるものがある、自分や宇宙やすべてのもの、それをつくったのが自分であるという、究極の1元になります。



Q 自分が人間である限り、すべてがひとつという意識になるのは難しいので、それを唱えて思い出させていくための瞑想ですね


A 言葉のちからというものがあって、神であるとか愛であるというのは本当に波動の高い言葉なので、それを唱え続けることで実際に自分のエネルギーを上げることが可能です。

昔から、瞑想をして悟りましたという話がありますが、それは瞑想をとおして本当の自分を少しずつとり戻して、高いエネルギーに達したということなのです。

それと同じことを言霊の力を使いながら、高いエネルギーの言霊を発しながら、自分をその状態にむけていくために「私は神である 私は愛である 私は大いなるすべてである」という言霊で瞑想することをおすすめしています。


akko 私はそれを言いながらベッドで横になっているとふわーっとして発光すような感じになったり、眠てしまうことがあります


aiko 私は思考停止状態になります。ひたすらぼーっとする感じ。思考を止めようとすると止めなきゃという思考が働くけれど、言霊にまかせて集中していると、その思考すら外れて思考がとまります



A 思考から外れている時に思考はとまります。思考はあくまでつくりものであるということで、自分は愛であるといってその思考をつくった側に立ち返ることで思考はとまってきます。



akko 言葉の意味が壮大だから意味を考えてしまうと、そんな、と思ってしまうけれど、口からでるにまかせて言霊のエネルギーに任せて唱えるだけでいいのですね


A 言葉のなかに本来のエネルギーがあるので、その言葉に立ち返るだけで本来の自分の状態になることができるのです


akko 言霊を言いながら瞑想して過ごすことはおすすめですね



A 昔からこの方法はあったのだけど、昔はこんなことはおかしい、宗教ぽいと言われていたので公に言えなかったのですが、最近はこうした言葉を使うことがよいといろんな所で言われ始めています。ある意味世の中がそこまで来ているということだと思います。


簡単にいうとこれが芥川龍之介の小説にある蜘蛛の糸なのです。それだけにつかまっていけば、いろんなことはどうでもよくなって、本来のあり方に戻っていくと考えてください。


我神瞑想をおすすめするというより、それしかないのです。瞑想に二元のワードが入ると、ドラマの世界にとらわれてしまう。そうではなく、その二元を超えて二元をつくった大元のところへいくための、人間の思いつく最高のワードというのがこの我神瞑想です。



akko この我神瞑想の前に私たちは「私は私を愛しています」という言霊をやりました。それも普段やるのにおすすめですね


A 自分がドラマの中にあって自分を愛することができないと何も原動力がなくなってしまうのです。「我は神なり、愛なり」と言うからには本当に自分を愛さないと矛盾になってしまうので、三次元的になるかもしれないけれどまずそこからはじめないといけない。


蜘蛛の糸の話でいえば、だれが糸につかまるかといえば、私しかいないのです。他に上がれるものは何もない、だから自分を愛していないと蜘蛛の糸につかまることができないのです。


愛という言葉も大切ですが、まず自分自身をケアして満たしてあげることが重要です。それができない人は本体にGOがかからなくてスタート地点にも立っていないので、我神瞑想も必要がないのでたぶんしないです。


言葉を言わなくても足りている人はいいですが、足りていない人は言霊の 力で自分をそちらに仕向けていく、そのひとつのテクニックが「自分を愛しています」という言霊になります


akko 私は我神瞑想をしながら寝てしまったり、朝目覚めて起き上がる前に少ししたりしています。そのような感じで生活にとりいれればいいのですね


A 特にかしこまる必要はなくて、帰り道に道草しながら歌を歌うように気楽に言霊を唱える習慣を付けられればいいのかなと思います。



インタビュー akko,aiko

動画編集 akko

書き起こし編集 yoko

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